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シンガポールには「球体型」の人が多すぎて違和感を感じる

シンガポールに来てからもうすぐ3年が経とうとしているのに、残念ながらプライベートで気の合うシンガポール人が少ない。

「交わす言葉は少なくても一緒にいる空間が心地良い」という距離感がどうしても掴めない。

今の悩みの1つである。

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シンガポール人には球体型が多い気がする

シンガポールに来た当初は友達がいなかったので、普段の引きこもりという殻を破って、友達増やしに徹していた。

同じアジア人なんだから簡単にお互いを理解できるに違いない。タカをくくっていたのもつかの間、すぐに、得体の知れない違和感を覚え始めた。

折角仲良くなって距離が縮まったと思ったら、もう少し踏み込んでみた途端、ぽわわ〜ん、ほわ〜んと跳ね返ってしまうような距離感。これは「初めまして」の段階を過ぎて、いざ自分の内面をさらけ出すようになると、大抵感じてしまう。お互いの考えやバックグラウンドを暴露しあうことが自然になれる人が、どうしても少ない。

こちら側からぐいっと歩み寄ると、ちょっとくっついて、その後ふわふわと離れていき、またすぐ遊びのお誘いがかかる。好かれてるの嫌われてるの?と、よくわからない時が多い。

この違和感を絵にすると、こんな感じだ。

人は誰でも多面体というのは良く聞く話だ。人はこの複数の面にそれぞれ異なる色を塗って、場所や年齢、役割に応じて、使い分けている。

だけど双方がある程度内面をさらけ出した”平面”を持っていないと、お互いが合致することはない。つるつる滑ってしまうから。

この掴みどころがない感覚が、非常に腑に落ちない。私自身が普段あまり「丸く」なれない人なので尚更顕著に思えるのかもしれない。

不思議なのは、シンガポール人は仕事の場となると、印象がガラリと変わるということ。社会のトップに忠実に従い、明確な指示受けと妥当な評価・報酬に目をギラギラさせて、正義を追求する国民性だ。

そのためイガグリみたいな個性丸出しで体当たりしてくる人が多いかと思いきや、蓋をあげてみたらプライベートでは、お饅頭みたいだったという事実。(※あくまでも私個人の見解です。)

シンガポール人を形作る15の要素/ 15 Traits That Make Us Singaporeansで語られている、シンガポール人の最上志向「キアス」然り、「他人に負けたくない」という意識がデフォルトで埋め込まれているこの国では、人間関係ももっとギスギスするものだと勝手に身構えていた。

斗出した部分を、目立たないように、削って、削って、削って、削って、最後には綺麗なまんまるお月様になってしまっているのか。

それともその球体の中に、常にイガグリを隠し持っていて、私が外国人だから目の前でさらけ出してくれていないだけのか。

どちらにせよお互い共有できる平面がないままだと、いくらこっちが寄り添おうと思っても、ガチッと辺と辺を合わせられることがない。つるっと滑って、そこらへんにふわふわ漂っていってしまうのだ。

というわけでここ数年感じ続けているこの違和感。誰か共感してほしい(切実)。

誤解を避けるために言うが、こうした国民性は良し悪しの問題ではないので、シンガポール人を否定する意図は全くない。

はっきりしているのは、どうやら日本人が「普通」だと考えている枠組みに、シンガポール人は全く当てはまらないということ。

日本人とシンガポール人は同じアジア人だけれど、歴史的・経済的・文化的背景は全く異なる。

十把一絡げにできない多様さを、人間関係からも痛感せざるをえない。

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本日も最後まで読んでくださってありがとうございました!