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「友達」の領域ってどれくらいだろう?

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「初めまして」から「友達」になるまでの領域は、どのくらい離れているだろうか?

ある人は出会った瞬間から、みんなみんな〜生きているんだトモダチなーんーだー♪という童謡並みに広い心で、ごく自然に輪を広げることができる。

またある人はSNS上で知り合った面識のない人でさえも、友達カテゴリーに換算する。

私にとって友達とは、2人で話ができるレベルの人だ。明確な線引きはないけれど、1対1で話をすることに違和感を感じる人は、どんなに頻繁に顔を合わせていても、ただの知り合いにすぎないと思ってしまう。

私は友人関係において、比較的「内向的」だ。

自分で言うのもなんだが、普段はわりと広範囲な人と問題なくつるむことができる(と思いたい)し、来るもの拒まず体制でいる。しかし自ら積極的に友達、特にグループとしての付き合いを増やそうと努力したことはあまりない。そのグループの中で生きていくために、必要以上に周囲に気を配るがストレスになってしまうからだ。

なのである一定の人数を超えた集まりでは、自分がその場で何もしなくても会話が進むため「ま、発言しなくていっか!」と省エネモードに入ってしまったりする。従って自分がグループとして仲良くつるんでいるコミュニティーは、片手で数えられるほどしかない。

それよりも、灰汁の強いが変な気を遣わなくて良い個性的な友達と、1対1で築いている関係の方が圧倒的に多い。そしてとても楽でいられる。

誰が一番だなんて選べるわけがない!

先日CBDエリアのカフェで、シンガポール人とそんな話をしていた。自分が少し前の一時帰国中に会った友人の話をしていたのだけれど、しばらく経ってから、その友人がふいに尋ねてきた。

「じゃあどの友達が一番なの?」

個別に親しくしてくれている数々の友人の中で、誰のことが一番大切なのかと。

本当に素朴な疑問だったのだろう、彼女の大きな黒い瞳にはちょっとした好奇心さえ見て取れた。

でもね、愚問だわ。そんなの1つのカヤトーストを10分割して、「どれが一番美味しい?」と聞いてるようなものじゃない!

連絡したり実際に会ったりする頻度にバラつきはあれど、友人関係なんてそう綺麗に横並びできるものではない。それに連絡頻度と、実際の親密さは、決して比例するわけではない。

私には、情緒的な拠り所としている友人もいれば、常に背中を追いかけることで刺激を貰うインフルエンサー役の友人もいる。その他、おもしろ動物画像だけをネタに数時間ダラダラ語れる友人、逆にお互いに仕事の話しかしない友人、自分にはない技術を教えてくれる友人、自分の弱みをさらけ出している友人など。

それぞれの役割が違うぶん、みんな私にとってはキラキラしていて、大切で、欠かせない。

誰より誰が勝ってるだとか、そういう議論ではないのだ。

深い話をするからって関係が近いわけではない

また反対に、関係が近いからって深い話をするわけではない。これも実体験として感じている。

かつての私は、友達の「悩み相談をしてくれた」「(相手が)目の前で泣いてしまった」という行為を、「心を許してまた一つ親密になれた」と確固たる自信をもって解釈していた。実際、今でもそのように思う人も少なくないと思う。

しかし最近は、ある程度親密になってしまったからこそ、すべて筒抜けになってしまったり、また傷つけられるのを恐れて、意識的にあけている距離があると自覚している。人間関係にはそれぞれの役割というものがある以上、深い話を避けることで成り立っている、立派な友人関係も存在するのだ。

だから深い話に踏み込まず、ありきたりな情報交換しかしなくても、それはその人なりの一面だ。

人は多面体だという話を以前書いたけれど、例えばA面を相手が見せてきているということは、それが双方にとって最も心地よくマッチする面であるいうことだろう。

B面、C面…その他の面は、きっと他の人と繋がっている。

のんびり生きているように見える人に、「あなたは平和で恵まれているね」と断定することは、考えによっては「あなたは不幸で惨めですね」と決めつけるのと同じくらい、辛辣で無神経な行為になってしまうかもしれない。

例えばの話だけれど、そういう可能性も忘れてはならないと思う。

皆さんの「友達」の領域ってどれくらいですか?

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本日も最後まで読んでくださってありがとうございました!

コメント

  1. 「親友」みたいに限定するとこじれる気がして、テニスするならウィリアム、編み物するならWellaさん、晩飯食うならJessica嬢など、僕は分散させてバランス取ってるです٩꒰⍢ ꒱۶⁼³₌₃