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人的資源を尊重しない日本は詰んでいる

平日の夕方にシンガポールの町中を散歩していると、制服姿の学生らとすれ違うことが多い。どの子もはっきりと自分の意志を持っていて頭脳明晰そうに見える。

日本だって、全国の15歳を対象としたPISA(国際学習到達度調査)では毎回上位にランクインしている。頭脳明晰で将来有望な中学生がたくさんいる。しかし一方で「世界大学ランキング」に注目すると、残念ながら上位にランクインしている日本の大学はない。もちろん調査方法や目的に違いはあれど、高等教育になった瞬間ランキングから「Japan」が消えるのは何故だろう?

教育システムが悪い。大学の国際化が進んでいない。学術的な功績が認められている機関が少ない。どれもその通りなんだろうけど、日本の場合、学生の学力よりも、教える教師側の働き方の問題の方が顕著だと思う。

「うさぎ跳び」を強いられる日本の教員

日本の公立小学校〜高校の教員を対象にしたOECDの調査(2017)によると、2015年時点の法定労働時間は年間1891時間で、OECD加盟国の平均よりも約250時間以上も多かった。これはOECD諸国の中でもかなり高い数字だ。しかもそれは、授業時間が長いためではない。

日本の教員の勤務時間が極端に長いのは、むしろ部活動や学校行事、国や教委の調査への対応、保護者対応によるものだ。同調査によると、教員が勤務時間の中で、本来の「教える」という仕事に従事できているのは、小学校で32%、中学校で32%、高校では27%にとどまるという。OECD諸国平均の49%, 44%, 41%というそれぞれの数字からは程遠い。

大口は叩けないけれど、一応中高の教員免許を持っている身として言えるのは、日々やることリストに追われている教員にとって、毎日が残業の嵐だ。10分の休み時間なんて荷物の整理と移動時間で瞬く間に消えてしまうし、テストの採点だって、1人の生徒に1分割いたしてもチリは積もって山となる。部活動の顧問を終えた後には保護者会の準備をして、プリントの印刷をして……当然、一人一人の生徒に合わせたカリキュラムや、凝った授業準備に充てている時間などない。「みんなが足並み合わせた詰め込み式の教育なんてけしからん!」という声が世間では叫ばれているけれど、現実問題、教員に対する負担が減らなければ、子どもに質の良い教育を与えてあげるなんて無理な話だ。そうでもしなきゃ、教員は死ぬまで体力と魂ばかりが削られる「うさぎ跳び」を続けなきゃいけない。

先日行われた成人式で、東京23区の新成人参加者およそ8万3,000人のうち、8人に1人が外国籍だったというニュースがまだ耳に新しい。コンビニ...

見当違いの努力にしがみつく日本

私がシンガポールに就職してショックを受けたことの一つに、働き方の文化の違いがある。シンガポールでは、ある社員が残業を強いられていると、その人への負担をするための措置が検討される。具体的には、チーム構成や、チーム内で仕事量の配分が再考慮されたり、または新たに社員を雇ったりする。一人一人の受け持つ仕事量が、それぞれのキャパを超えないように、人々がうまく助け合っているように思う。

一方日本では、就業時間に帰宅できず残業になだれ込んだ場合、本人の器量の悪さと効率性を責める傾向にある。深夜残業の代わりに早朝出社などが試されているも、それでは根本的な負担の軽減には繋がっていない。私が日本で内定をもらっていた企業では、入社前研修の段階ですでに終電に駆け込む日が何度もあった。当時は頭がマヒしていて、新入社員なんだからそれ当たり前だと思っていたけれど、今考えると恐ろしくてゾッとする。けれど冷静に考えて、「うさぎ跳び」を強いられる教員のもとで生まれるのは「うさぎ跳び」の戦士だちだ。「うさぎ跳び」のクラスで「ダチョウ走り」が上手い生徒なんて育つはずがない。

例えば、ニュージーランドのクライストチャーチにある大型スーパーの営業時間は「8:00AM〜14:00PM」だ。あまりのやる気のなさに最初は戸惑ったのだけれど、それにはちゃんと意味がある。多くの飲食店や小売業は、営業時間を延長することによって売上を伸ばそうとしてきた。だが延長した時間分の売り上げを独り占めすることは、あくまでも別個の企業の発展でしかなくて、国全体の産業が伸びることには繋がらない。それをニュージーランド政府は理解しているのではないだろうか。国民がむやみに長時間労働しても、全体の生産性が下がるということを知っているのだ。

先ほどのPISAと世界大学ランキングの例に戻ろう。世界大学ランキングで日本が高評価を得られないのは、国の競争力が「黙々と一定の作業ができる能力」から「自発的に考えて行動する能力」に変化したからだ。日本が前者を図るPISAで高得点をマークできても、国家や個人としての後者を図られる調査で一目置かれないのは、ある意味当然だ。

黙々と働いていれば数字が伸びていった時代はとっくに過ぎ去ったのに、いつまで「うさぎ跳び戦士」を生み出し続けるつもりなのだろう。自由な発想を認めず人的資源を尊重しない日本は詰んでいる。

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