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友だちを切り捨てる勇気と切り捨てられる勇気

「大学の頃はすごく仲の良かった友だちと、卒業以来全く連絡を取らなくなってしまった。」

「結婚した友だちが、全くご飯に来なくなった。」

変化する友人関係、疎遠になる友人関係に「友だちって一体なんだろう」という疑問を抱く人も少なくないだろう。女性である私の場合、人間関係におけるステージも実に多様化している。

・未婚者彼氏なし

・未婚者彼氏あり

・未婚者婚約中

・既婚者子どもなし仕事あり

・既婚者子どもなし専業主婦

・既婚者子どもあり仕事あり

・既婚者子どもあり専業主婦

こんな感じで分かれているそれぞれのステージで、個人の関心事は大きく異なる。小中高大までみんな同じステージに立っていた周りの人たちが、今は色々なステージに散らばっている。ステージによって、価値観も考えも全く違う。その多様さに正直戸惑う。

私と同じ25歳にして結婚・出産・離婚の1ループをすでに終えた友人は、「人生とはうんぬん」とものすごく達観した物言いをするようになった。再婚を望むシングルマザーの関心事と、私の関心事は一切マッチしないのだなあと、彼女に会うたびにハッとさせられる。それは決して彼女自身が面白くなくなってしまったのではなくて、元妻であり母親という社会的役割を全うした結果、価値観が変わってしまったのだ。

海外在住で変化する友人関係

海外在住ということも、人間関係を変化させる要因の一つである。

一度その国を離れれば、本当にお互いの価値を認めて友人関係を築けていたのか、それともただ物理的に距離が近いから一緒にいたのかが、いやというほど明らかになる。

久しぶりの一時帰国では、友人と話が噛み合ってないなと思う瞬間も増えてきた。「あれ、今シンガポールに住んでるんだっけ?」から深い内容を語れる友人もいれば、「わー海外在住なんてすごいね!私とか英語話せないからなーははは」で会話が終わってしまう友人もいる。

大学の時は一緒に海外旅行などして盛り上がっていた友人と、話が噛み合わなくなると感じるのはとてもショックだ。そういった友人に、このブログで書いているような話をしても全く興味を示さない。シンガポールでも意外と安く暮らせるとか、就職してみたらとても働きやすい国だったとか、そういう内容はほぼどうでもいいのだ。反対に彼らからしても、私の興味関心は理解できないだろう。海外というトピックがいかに、もう彼女らの中で非現実的なものになっているかという事実を突きつけられ、私は時に虚しくなる。

人は自分と同じ価値観を共有できる人と一緒にいたいと思うもの。だから価値観が合えば磁石のように惹かれ合うし、価値観が合わなければ S 極と N 極のように向き合えることはないのだ。

群れないことで会いたい人に会える

大学3年次の終盤に東ティモールから帰国した私は、友人関係の急激な変化に戸惑いを隠せなかった。決して国際協力分野に特化した学部ではなかったので、自分の経験や価値観を共有できる人が少なかったのだ。いくら熱く語っても、「心の共鳴」を感じられない人と一緒にいるのは寂しい。今までつるんでいた友人のグループには何となく顔を出さなくなり、圧倒的に一人で行動することが増えた。

孤独になりたくないという防衛本能が働き、友だちを失う恐怖を感じたりもした。

それでも、そのまま孤独を突き進んだのかと言われれば、そうではない。

むしろ、新しい価値観に「共鳴」してくれる友人が増えた。今でも繋がりのあるアクの強い友人たち。大切な仲間。人生うまくできていて、どこのステージに行っても、磁石のように惹きつけらる人は突如現れるものである。

だから自分にとってかけがえのない仲間を増やしていくために、できることは2つ。

1)切り捨てること

2)離れることを恐れないこと

新しい価値観を共有できる人に出会うには、一旦群れから抜け出す必要がある。

今までの自分の人間関係をゼロからやり直すのだ。

そのためには切り捨てなきゃいけない人もいる。離れていってしまう人もいる。それでも、生身の自分一人で他人と向き合えるようになった時こそ、自分が会いたい人に会うことができると思う。

自分が変わることで、周りから白い目で見られることもある。「あの子昔はあんなんじゃなかったのにね」「前のほうが良かったよ」と、聞きたくない陰口を叩かれることもある。それでも、新しく生まれ変わった自分を気にかけてくれる人はいつだって現れる。そう思っていれば悲観することはない。ただ環境を共有しているだけの大衆よりも、そういうかけがえのない友人たちを大切にしていきたい。

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本日も最後まで読んでくださってありがとうございました!