写真で見る世界の町 - Photo Walk -

東ティモール放浪記:それはきっと愛の仕業

海外生活

砂埃りのせいで真っ茶色になった自分の足をひたすら見つめる。

額から滑り落ちる汗は足元に小さな半纏をいくつも作っていた。

原因不明の下痢と、早朝4時から鳴り続けるゴーーゲゴッゴォォォ!!という自然目覚ましによる睡眠不足が引き起こした頭痛と、闘うこと半日。

こんな国来るんじゃなかった。

私は早くも東ティモール滞在初日にして、激しい後悔に襲われた。

日焼け止めなんて意味をなさない、細胞を焼き付けるようなジリジリとした猛烈な日差し。

数メートル歩けば間髪入れず「シナ?シナ?(中国人か?の意)」「コンニチワァ!」「アニョハセヨ〜!」「カガワ!カガワ!」と四方八方から声がかかる。

せっかく買った野菜や果物は、明け方には蟻かネズミに喰い荒らされている。まぁ最初っから痛んでるに大差ない品質なんだけれども。

被害にあった後、数日分の食料と引き換えに散りばめられた、米粒サイズの練り消しみたいなネズミの糞を呆然と見つめる悲しさよ…。

さらに町の移動手段であるバス、通称ミクロレットは、暑い・臭い・狭いの3重苦だ。追い打ちをかけるように、低音ビードの効いたアップテンポのクラブミュージックを、超大音量でガンガン流してくる。隣にティモール人男性が座ろうものなら、アポクリン汗腺全開の酸っぱい臭いが鼻について、思わず顔が歪む。

カオスだ。

あぁ日本に帰りたい。

そう思っていたのに。

半年も経つと、すっかりこの国の虜になっていた。

慣れた、というのも、もちろん貢献しているけれど、私の心を変えたのは紛れもなく「愛着」だと思う。

それは東ティモール人の愛に触れた時、じわーっと心に広がってくる感情。

東ティモール放浪記:日常の一片

ある日、”Hau moras(気分が悪い)”と言って蒼白な顔で帰宅したら、近所のティモール人が老若男女20人くらいドヤドヤ押しかけてきて、家にトマトやニンニク、タオル、そしてなぜかシャンプーを差し入れしていってくれた。

はす向かいに住んでいるお母ちゃんからは、「水は下痢になるからグァバジュースにしなさい!」と、1,000mlのパックを無理やり飲まされた。

ちょっと強引だったけど、おかげで寂しい思いをすることはなかった。

隣の家に住んでいた年の近い女の子、レナは、インドネシア人の血の繋がらない”姉”と、その恋人と一緒に住んでいた。

その子の両親は車で3時間(ミクロレットでは山道で約6時間)離れた村に住んでいて、東ティモール滞在中に2回だけ、お父さんにお会いしたことがある。褐色の肌に、真っ白な頭髪と髭。水色チェックの半袖シャツからのぞく腕は細長くしわしわで、お父さんというより、お爺さんという印象を受けた。

「うちの娘がよくあなたの話をするんだよ。本当に感謝している。だからお礼の代わりに受け取ってほしい。」と、屈託のない笑顔で迎え入れてくれた。東ティモールの人々の笑顔はいつも温かいんだ。

続いてなにやら後方に伸ばした腕を、「これをあげるよ」と言って前に持ってきた。

差し出されたのは、生身の鶏!

コッココッコ。うぉ。羽ばたつかせてるー。嬉しいけど、怖い!

「お父さんありがとうございます、でもさすがに生きている鶏は殺せません」と伝えられるほだけの語彙力がなかったので、「Agora hau hakarak haan hamtuk!(今みんなで一緒に食べたいです!)」となんとか言い切って、調理してもらった。最っ高に美味しかった。

そんなお父さんの娘レナは、初めて出会った時は20代前半にして「私は他の人よりも結婚が遅かったし、まだ子どももいないの…」なんて嘆いていたんだけど、今では立派に2児のお母さんになっている。

東ティモールの人たちは、いつも見返りを求めない、底抜けの優しさで接してくれた。

だからこの国に思いを馳せることをやめられないのだとしたら、それはきっと、愛の仕業。

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本日も最後まで読んでくださってありがとうございました!