写真で見る世界の町 - Photo Walk -

悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである

海外生活

あーもうだめだ。

仕事でドカンとやらかした日には、穴を掘るどころか魔法の1つでも使って消え去りたくなる。

私は昔から随分と貪欲で、基本的に「他人からよく思われたい」「認められたい」という自我が強い。先日とある友人から「キラキラしている」という言葉を頂いたが、それは「キラキラしていると思われたい」表向きの自分の為せる技であって、現実は嫉妬と焦りでいっぱいの毎日だ。自分が好きでやっていることが単なる逃げに思えて、自暴自棄になることだってまぁ良くあること。

人はそれぞれ、理想の自分と現実の自分という2つの像を持っていると思う。そして日常生活における悩みとは、その2つのギャップの大きさに起因できる。どんな環境で育っても、そんな状況にいようとも、自分の目指す理想像が現実の自分よりデキる奴である限り「こんなはずじゃないのに」という悩みは一生つきまとうからだ。

悩みの全くない人がいるとしたら、一体どんな感性を持って生きているのか知り合ってみたいものだ。

私の場合、そうした悩みに惑わさた時(つまり今。笑)は先人の言葉を探し求める。自分のもう使い物にならなくなった頭でも理解して、消化して、軌道修正できるようなフレーズを模索する。そうしたお気に入りと出会うために、なんだか手掛かりが隠れていそうな本や映画を、根掘り葉掘り直感で漁ってみるのが私なりの解消法である。

そもそも楽観的・上機嫌・ポジティブ思考などは存在しない

そんな中でも特にお気に入りの、アランというフランスの哲学者・教師の一節があるので紹介したい。

悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである

彼は本名をエミール=オーギュスト・シャルティエといい、第一次世界大戦中に従軍経験も持つ。この言葉は彼の著書『幸福論』で有名な一節だ。

さらに彼はこう説明する。

ほんとうを言えば、上機嫌など存在しないのだ。

気分というのは、正確に言えば、いつも悪いものなのだ。

だから幸福とはすべて、意志と自己克服とによるものである。

一度でも失望したことがある人ならわかるだろう。自分の心を黒い影が覆いかぶさっていく様をリアルに感じていても、それを止める術がないあの無気力感。あれが人間のデフォルトだという。

アランは、不幸なマインドには抵抗せず、ネガティブ沼の底に引っ張られることは楽だと主張した。「気分にまかせて生きている人はみんな、悲しみにとらわれ」ているから、放っておけば皆んな沈んでいってしまうものだと。常に沼の底へ底へと力が作用しているのだから、「私はこんなに不幸だからこうなってしまう」「私は○○が苦手だからどうせできない」と、ネガティブな方向へと自分自身を合理化させるのにエネルギーと時間はそう要さない。

反対に、その沼から這い上がり、楽観的なマインドを持つことはものすごく力のいることだ。なぜなら放っておけばどんどん沈んでいく自分を、自己克服しようとする意志で支えないといけないから。これは本当に難しい。

私は数年前アランのこの考えに出会い、以来辛いことがあって落ち込んでも「あぁ今が自分の自然の状態だな」と冷静に分析した後で、「さてここからどうするか…。」と自らの舵を切ることが少しできるようになった。残念ながらいつも成功するわけじゃないけれど。手段を知っていても実行できるかは別の話だ。

普段からボジティブな意志を持つ習慣をつけよう

というわけで何か負の感情を抱いている時、その感情だけで生きようとすると、自分に訪れる些細な幸せを享受できなくなる。

そればかりでなく、他人の人生を羨んでは、思いやりの心を忘れてしまう。

そんな自分の心に気付いてまた悲しくなる。無限の負のループだ。どこかで断ち切らなければいけない。

一度だけ、前の会社の同僚であった韓国人男子に「君のそのボジティブさは本当に自然体なのか?」と鋭い問いをされたことがあり、びっくり仰天驚いた。意識的なポジティブさを見抜かれた(少なくとも面と向かって指摘された)のは、それが初めてだったから。それはあながち間違いではなく、楽観主義・幸福・幸運というものを呼び寄せられるように、常日頃から意識するようにしている。

それでも悪い気分というものは実に厄介で、隙あらば自分の心を占領しようと悪さをする。だから日頃から気分に身を任せず、「いやいや、今はこんなだけれどきっと良い方向に向かうはず!」という意志を持つよう習慣付けていきたい。結局、上機嫌やポジティブ思考を作り出せるのは自分の意志だけなのだから。

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本日も最後まで読んでくださってありがとうございました!