写真で見る世界の町 - Photo Walk -

ロヒンギャ難民家族の物語<前編>:東ティモールにやってきたお隣さん

海外生活

それはもう、5年も前のこと。

ロヒンギャ難民の家族がお隣に越してきた。

都会の娯楽が存在しない東ティモールでは、休日といえば一眼レフをぶら下げて、写真散歩に繰り出すのがお決まりのコース。

その日は近所の海岸沿いを練り歩き、顔馴染みの子どもたちに「けんけんぱ」を教えていた。子どもたちのエネルギーに満たされ、照りつける西日を背に帰宅した時だった。家の前に、見覚えのない人影を発見した。男女の大人と、子どもが1人。私の隣の部屋を出たり入ったりしている。

「ねぇ、あそこに立ってる人たち誰?」

いつも家の目の前で枯れ果てた野菜を売っているティモール人婆婆(ばーば)に尋ねる。どうやら彼らはミャンマーからバングラディッシュ、そしてインドネシアへと流れ着き、先日船で東ティモールへ渡ってきたらしい。

「Refujiadu.」

それだけ言い放ち、家の奥へと引っ込んでしまった。

「難民」だそうだ。

午前中とっくのとうに学校を終えた子どもたちが、わらわらと集まってサッカーボールを蹴っている。球を追いかけつつも、皆やはり新しい人の到来が気になる様子だ。「早く話しかけてきてよぅ」的な円らな瞳が20個ほど、一斉にこちらを見つめてくる。東ティモールの人口は約131万5千人 (2018年現在)。うち約半数は25歳以下の若者で、とにかく子どもの数が多い

当時の私の住処は、路地裏の一角にある1階建てフラットアパートの1室だった。スライド式の鉄門に守られた車2台ほどの駐車スペースに、異なる5部屋の出入り口が向かい合っている造りだ。間取り1Rで20平米という文句なしの広さだったけれど、なんせ天井と壁は穴だらで、お湯も出ない。あるのは開かずの窓と、ベッドと、CNNの天気予報しか観れないボックス型テレビと、設定温度が高すぎて野菜が1日でダメになる冷蔵庫。それでもティモール人家族に囲まれたこのコミュニティは心のオアシスだった。

建物の構造上、自分の家に入るためには彼らの横を通るしかないので、仕方なく足を進める。距離が近づいてわかったけれど、この男女はどうやら夫婦で、2人ともかなり小柄だった。息子含め、3人とも褐色の肌をしている。

「Botardi.(こんにちは)」

どこの人だかわからなかったので、とりあえず東ティモールの言葉で挨拶をした。同じ言葉は帰ってこず、代わりにヒジャブの陰で光る奥さんの目が遠慮がちに逸らされただけだった。

旦那さんが唐突に「カミュ」と名乗り、握手を求めてきた。28歳だそうだ。妻は27歳。子どものくせにニコリともしない息子は自称7歳。ゴミ捨て場に置いてあった袋をつかんで、小走りでどこかに姿を消した。

結局この日は打ち解けず、私はニコリと愛想笑いをして店終いすることにした。部屋のドア横に取り付けられた電気メーターのプラスチック窓に、夫婦がこちらを凝視している様子がしっかりと映っていた。私は少しも振り返らずにドアを閉めた。

かくしてこの難民家族が、お隣に入居してくることとなった。

サッカーを楽しむ東ティモールの子どもたち

果たせなかった最初のお願い

次にその家族の姿を見かけたのは、西日の差しかかった翌日18時過ぎ。ちょうど仕事から帰宅した時だった。

入り口の鉄門をスライドさせると、旦那さんカミュが駐車場のど真ん中で仁王立ちしている。ちなみに背は私より低いけれど、顔立ちはそこらへんの芸能人よりよっぽどイケメンだ。私の姿を目にした途端、少々乱暴に手招きしてきた。

手にしていたのは、エアコンのリモコン。どうやらスイッチON・OFFの切り替えを教えてほしいらしい。開けっ放しのドアからは、ヒジャブを外して長い濡れ髪をとかしている奥さんの姿が覗いていた。シャワーを浴び終わった直後なのだろうか。ちなみに温水の出ない家でも、日中は太陽によって水が温められていたりするので、日が沈む前にシャワーを浴びるのは鉄則中の鉄則だ。私もこれが終わったら日没前にさっさとシャワーを浴びてしまおう。

そういえば、子どもの姿はどこにもない。まだ外は明るいのに、部屋の中はカーテンを閉め切ったまま、どんよりと闇に包まれている。

さてエアコン。使い方も何も、めちゃくちゃ目立つオレンジ色ボタンにONって書いてあるんだけどな。実演した方が早いので、部屋に入っても良いか尋ねると、交通整備おじさんのように腕を振って招き入れてくれた。おじゃましまーす。部屋の中はどこか地下鉄の油の臭いがした。

まずこれがONで、一回押すとつく。リモコンを持って説明する。じめっとした空気。怖いくらい何もない空間。間取りは同じでも、自分の部屋がめちゃくちゃ快適に感じた。すかさずカミュの声が続いた。

「おん。」

「ON」

「おん。」

あれ、もしかして。この人たちはアルファベットの読み方を知らないのか?案の定OFFも真顔で「おふ。」と繰り返されただけで、その意味を理解している節はなかった。なるほど、これは想定外。困った。とりあえず今はエアコンだけつけてあげればいっか。そう思いONボタンを押したのだが。

しーーーん。エアコン反応なし。

ふと振り返ると、横に並んだ夫婦2人の顔に初めて笑顔が宿っている。この人たち、エアコンの使い方を知りたかったんじゃなくて、電気代をせびってたのか!

年間通して30度を超える高温地帯である東ティモールで、エアコンが使えないのは確かに致命的だ。月30ドルの電気代さえ払えない彼らの生活は貧しい。けれど一度そういった行為を承認してしまったら、その次も断ることができない気がした。結局その時の私は、彼らの意図がわからなかったふりをし、そそくさと自分の部屋に翻ってしまった。その夜を高温多湿の中過ごすことになった3人に、心の中で謝りながら。

それから数日間、3人の姿を見ることはなかった。ドアは閉まっており、物音一つしなかったので、在宅しているかすら判断できなかった。

家の前の小道。夕方になると子どもたちで溢れかえる。

電気代をケチったがために始まった深夜食堂

次にロヒンギャ家族を見たのは、数日後の深夜だった。就寝後、焦げ臭い煙の匂いで目が覚めた。家の外からだ。きっと火事だと早合点し、眠気が一気に吹き飛ぶ。慌ててベッドから飛び起きて、恐る恐る家のドアを開けた。

すると、煙の原因はあのロヒンギャ家族だった。

どこから買ってきたのか、またはもらってきたのか、七輪の上に中華鍋を乗っけて、アジのような魚を数匹焼いている。しかもそこに注いでいる、尋常じゃないほど大量の油。超絶健康に悪そうなんですけど。子どもは眠たがるどころかピンピンしていて、これまた出処がはっきりしないサッカーボールを蹴って遊んでいる。駐車場なので、その音も響く。一瞬昼間ティモール人の子たちが遊んでいたボールがよぎったけれど、なんと新品のようだった。

もう時刻は深夜2時。あたりは寝静まりかえっているのに、ジュージューという音と生臭い煙を永遠とまき散らしている。

後々知ったことだが、彼らは人目に触れることを好まなかったので、日中外に出てくることはあまりなかった。普段はカーテンを閉め切ってしまっているので、部屋の中は暗い。そうすると、月明かりの下作業する方が、明るいし、人目に晒されることもなくて安全ということらしい。

数日前、私が快く30ドルを握らせてあげていれば、こんな深夜食堂は開かれなかったかもしれない。とはいえお鍋やボールを手にいれる術は手に入れているみたいだ。東ティモールにも難民支援団体がいるので、そういう人たちが面倒を見てあげているのかもしれない。私がとやかくしなくても大丈夫だろう。次にエアコンのことを聞かれたら、近所の「電気屋さん」に連れて行ってあげよう。

その他、夜中に夫婦喧嘩が勃発することも多かった。何も見えない暗闇の中で、明らさまに人間を殴っている音や、嗚咽が混じった子どもの金切り声、女の人の癇癪起こした雄叫びが響き渡っていた。相手の言語がわからなくても、2人がひどく罵り合っているということはわかった。そういう時は自分のざわつく心を静めるために、鶏の鳴き声が夜明けを告げるまで、好きな音楽を聴いて無理やり夜をやり過ごした。

 

次回 >>>ロヒンギャ家族の物語 Part2

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