写真で見る世界の町 - Photo Walk -

日本から見捨てられた漂流民「音吉」をシンガポールで訪ねて

海外生活

英語の「land」を和訳せよと言われたら、何と訳すだろう。

「土地」「陸地」「陸」?

私の頭で思いつくのは、せいぜいこのくらい。

しかしかつて、この単語を「国」と訳した人たちがいた。

幕末の船乗りたちだ。

命がけの航海が海外へと出向く唯一の手段であった時代、海を隔てた遙か遠くに見える「土地(land)」こそが「国」だったからだ。

ここシンガポールに日本人として初めて定住した人も、船乗りだった。幕末の漂流民「音吉」。又の名を「オトソン」という。

音吉 (Wikipediaより)

この音吉、実は漂流民でお馴染みのジョン万次郎よりも先にアメリカやイギリスに上陸している国際人!今で言う愛知県美浜町の出身だ。その波乱万丈の人生をザッとかいつまむとこんな感じ。

①見習い船員として乗った商船が静岡付近で嵐に遭遇。黒潮に乗って約1年半も太平洋を流され、北米ワシントン州のインディアン居住区に漂着。奴隷として使われる。音吉15歳。

②イギリスの商社に雇われ、ロンドン経由でマカオに到着。日本のキリシタン禁制時に世界初の日本語訳聖書の編纂に協力。音吉19歳。

③マカオ発の米船モリソン号で5年ぶりに日本帰国を図るも、幕府の「来るもの全員ぶっ潰す!」(超訳)という外交政策により祖国から大砲を向けられ退散。音吉20歳。

④アヘン戦争後の上海にて通訳・商社マンとして6年間働く。自分と同じ境遇にあった日本の漂流民の援助活動にも従事。音吉25〜26歳。

⑤イギリス人女性と結婚し娘が生まれる。音吉27歳頃。しかし程なくして妻子ともに他界。

⑥マレー系女性と再婚し、シンガポールに移り貿易業で生計を立てる。オーチャード・ロードに家を建て、シンガポールにて他界。享年49歳。

皮肉にも、日本ではこの翌年が明治維新だった。

音吉の航海図(参照: 聖書に触れた人々シリーズ

もはやちょっとシンガポールで働いたくらいであーだこーだ言っている自分が恥ずかしくなるレベル。

江戸時代の見習い船員の少年が、ある日いきなり世界に放り出されて、通訳・商社マンとして世界一周。祖国に帰ろうと試みるもその願いは叶わず。

あまりスポットライトが当たることのない歴史上の人物だけれど、こんな波乱に満ちたストーリーを読んでしまったら、音吉さんに会いたくなってきたでしょう?!(ならない)

音吉の眠るシンガポール日本人墓地公園

そんな音吉の眠るのが、シンガポールの閑静な住宅街にある日本人墓地公園だ。セラングーン駅からバスに10分揺られると、高級住宅街の一角に突如現れる。1891年に誕生し、現在はシンガポール日本人会の管理下になっている。

明治から大正にかけて、アジア各地に娼婦として連れて来られた女性たちが大勢いた。”外国行き”という意味で「からゆきさん(唐行きさん)」と呼ばれた彼らの中には、過酷な労働状況の中、日本に帰ることができずシンガポールで生涯を終える人も少なくなかったという。そんな彼らの亡骸は当時無残にも牛馬の棄骨場に捨て去られており、それをきちんと供養してあげようと建てられたのがこの墓地公園。

戦前に活躍した日本人や戦犯処刑者も含め、この地で亡くなった日本人が眠る場所として、現在管理されている墓標の数はなんと約910基にも登る。

墓地ということで少々緊張気味に足を踏み入れたのだけれど、第一印象、めっちゃ綺麗。

そしてめっちゃ日本。

あたり一面にブーゲンビリヤとプルメリアが咲き誇っていて、墓石を除けばボタニックガーデンと勘違いしそうな勢い。

芝生の上に点在する高さ30cmほどの小さな墓石は、かつてシンガポールで娼婦として働いていた「からゆきさん」のもの。

どれも日本の方角である北に頭が向けられている。

入ってすぐ六地蔵さんがお出迎え。

そしてお待ちかね(?)の音吉さん。墓石に描かれた舵輪は彼の航海人生を物語ったものだろうか。現在彼の遺灰はシンガポールの日本人墓地公園納骨堂含めて3つの異なる場所に納められているらしい。

ちなみに音吉と2番目の妻との間にできた息子ジョンは、音吉が日本で籍を入れてほしいと強く望んだことから、その通り日本で「山本音吉」という父の名を継いだという。

日本人漂流民を日本に送り返す救済活動を行っていたくらいだから、その気になれば音吉本人も帰国することはできたのだろうけど、結局最期まで自ら祖国の地を踏もうとすることはなかった。帰りたくても帰ることのできなかった祖国への再移住を息子に託した音吉。時代と運命に翻弄された音吉の心情はどのようなものだったのだろうか、考えずにはいられない。

$100以上寄付をすれば公園内にあるメモリアルプラザの銘版に名前を残すことができる。

↑こちらの寄付をなさったししもんさんの記事も、是非ご覧ください。コラボ記事第2弾。日本人墓地公園について違った見方ができるかも?

日本人墓地を訪ねシンガポールに生きた同胞の歴史に想いを馳せる
寅さんや三丁目の夕陽のように、古き良き日本を描く作品は多い。当時は現代とは比べ物にならないほど治安が悪く、男女差別や貧富の格差もハンパなかったはず。でもそんなネガティブな部分はノスタルジックなオブラートに包まれ、近代化以降に失われし暖かい人

いやいや日本人墓地公園の歴史についてもっと教えてよ!という方は、以下の写真を拡大してご参照ください。

戦前シンガポールの日本人会

日本人墓地公園の沿革

—————————————————————————————————

本日も最後まで読んでくださってありがとうございました!

  1. […] 日本から見捨てられた漂流民「音吉」を訪ねて英語の「land」を和訳せよと言われたら、何と訳すだろう。 「土地」「陸地」「陸」? 私…wella-world.com2018.03.11 […]