日本の就活は高学歴人材のための出来レース?

日本生まれ日本育ちの人が海外就職を考えるようになるには、何かしらの強い理由があるだろう。普通に考えたら、私たちが最も暮らしやす場所は生まれ育った祖国に決まってる。ビザもいらず、言葉の壁もない。私も日本生まれ日本育ちのため、日本への愛着は断ち切れない。

先日当ブログの読者さんから「アンチ日本なんですか?」というコメントいただいた。確かにシンガポールでの生きやすさを全面に推してはいるけれど、日本が嫌いということではない。むしろ日本のことはとても好き。ただ、テニスするならこの友達、仕事の話ならこの友達、映画に行くならこの友達と同じ友達でも目的によって会う人が異なるように、日本が「働きたい」場所ではなかったというだけだ。

日本の就活は高学歴人材のための出来レース

日本で働きたくないという気持ちが100%確信に変わったのは、日本で就職活動をしている時だった。

私が就活をしていた<2016年卒>は、なぜかその年だけ従来の「エントリー開始は12月1日以降、採用選考開始は4月1日以降」から「広報活動開始は3月1日以降、選考活動開始は8月1日以降」と約3ヶ月もスケジュールが後ろ出しになった。実際は後ろ出しではなく長期化しただけの愚案だったけれど。そんなわけで、選考が始まる前の説明会に赴く時間が多くあった。

そこで初めて、就活の不実さを目の当たりにした。在籍大学によって面接回数が違うのは当たり前。実際は学歴フィルター混みの筆記テストを実施し「落ちたのはあなたの頭のせい」という正当な理由を作り出す。内定者懇談会も大学別。東大・京大など優秀大学在籍者とMARCH以下出身では、選べる説明会日程の数からして違うというのも常套手段。

所詮大企業の主張するフェアネスなんてそんなもんだ。「全員を公平に選考します」などのたまいけるが、漏れる本音はもっと腹黒い。学歴フィルターによって高学歴学生には馬車馬のよう出世コースが用意される。私みたいな平凡学生は彼らのような優秀人材の鞄持ちをするために大量採用される。結局は「低学歴な面白いやつ」より「高学歴なお利口さん」が好まれる。卑屈っぽくて申し訳ないけれど正直そんな印象を持たざるを得ない。全ては出来レースだ。

出世コースから漏れても妥協が許されない矛盾

日本の就活市場では組織利益を追求するがあまり多少のルール逸脱も許される。あれだけ「残業なし」「海外派遣のチャンスに溢れてる」とアピールしていた企業も、内定者研修が始まった瞬間「1年目はタクシー帰りが当たり前」「まずは日本で数年踏ん張ってから」と手の内を変えてくる。むしろ組織の本音に準じることこそが世渡りの術であるとでも言いたげに、ありとあらゆる誘惑と重圧で推しくるめてくる違和感。全然、期待していたものと違う。

残念ながら私はトップ大学出身でもなければ企業が望むスキルも持ち合わせていない。そんなわけで就活が本格化してしばらくすると悟ってしまった。

私のような一般ピーポーには、最初から日本でのサクセスストーリーは期待されていないのだということ。また、選考漏れした者でも気の抜いた働き方が許されないということ。出世コースへの選別はとうに済んでいるばずなのに、仕事への全力投球が求められる。

私はトップに躍り出たいという欲が皆無なので、正直食べていけるのであれは昇級などはどうでも良い。だから日本で労働をする以上、私のような中途半端な働き方はかえって社会の毒だ。そんな気がした。

だったらいっそ、日本じゃない労働環境に逃げてしまおう。

そうやって尻尾を巻いてたどり着いたのがシンガポール。この国も結構な学歴社会だけれど、日本人である私は良い意味で蚊帳の外だ。外国人労働者という立場のため、ありがたい事に学歴ランキングにも収入ランキングにも参加せずに済む。

シンガポールみたいに海外在住だと自分がマイノリティーとなって、周囲と「普通」を共有できなくなる。必殺目くらまし技。あなたと比べて私はどうのこうのって思慮を巡らす必要がないのだ。

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本日も最後まで読んでくださってありがとうございました!