25年間生きてきて一番良かったこと

中学2年生の頃、「死」が怖かった。

ブラックホールのような、どんよりとしたものに吸い込まれてしまいそうな恐怖感。

自分の髪と引き換えに魔女からもらった剣で王子様を指すことができず、泡となってしまう人魚姫のように、自分の体が誰の目にも止まらず消えてなくなってしまいそうな。

中学生の私にとって、自分の「死」は少々イメージし難いものだった。

ところが最近、時間の限界という生々しい足音を、ふとした瞬間に感じることが多くなった。

例えば日本へ一時帰国して実家に顔を出した時、自分の両親がもはや「お父さん」「お母さん」ではなく「おじいちゃん」「おばあちゃん」に近づいていることに驚きを隠せない。

普段は手の平に収まるほどの小さな画面でしか顔を見ていないからか、実際の姿を目にした時のショックは大きい。母にはあんた失礼ね!と叱咤されそうだけど、老けたなぁと思う。

でも、彼らが年を取ったぶん、自分も年を取ったのだ。

どう足掻いたって、魔女と契約を交わして黒魔術でも使わない限り、私だっていつかは死ぬ。

仮に100歳まで生きられると仮定しても、私の人生の4分の1はもう過ぎ去ってしまったのだ。切ない。

でもどうせだったら、色んなことに挑戦して、悔いのない人生にしたい。

大学を卒業して仕事を得て、自分の人生に対する責任を自分で取れるようになってから、特に強く思うようになったかもしれない。

四半世紀を振り返ってみると紆余曲折あれど、25歳になるまでに得られてよかったと思うこともある。

日本の外の世界に逃げ道を見出せたこと

まず一つ目は、世界を飛び歩けるようになったことだ。

初めての留学では、税関を通るだけで心臓が止まりそうなくらい緊張していたのが5年前。英語もろくに話せず、「友だちができない」「授業がわからない」という悲観的発言ばかりを日記に書き綴り、挑戦するもの全てが暗礁に乗り上げて幾度となく泣いた。

しかしその後も数多くの国に住んだり遊びに行ったりしたことで、今では海外渡航に対するハードルはかなり低いものになっている。

飛行機に乗って海を渡ることが、極めて当たり前になったのだ。つい先日行ったベトナム旅行も、もはや日本国内旅行よりも手軽な感覚で楽しめた。

この感覚を得たことで私が本当に享受しているのは、自分の人生にたくさんの「プランB」を作れるようになったことだ。

ある場所で失敗したとしても、きっとどこか別のところに自分が輝ける場所があるに違いない!と思える心の余裕。

だって、世界には言語も宗教も考え方も本当に様々な人がいて、その全てに自分が全く当てはまらないなんてことはないんだから。

「ちょっと仕事で失敗してしまったけれどドイツでは評価してくれていたし、今回は運が悪かったんでしょう。」とか、「さっき私の意見に共感してくれた人は少なかったけれど、東ティモール人だったら賛同してくれたに違いないな。」など、今ここで失敗しても、きっとどこかに心地の良い場所があるから大丈夫、という根拠のない自信が自分を支えてくれる。

この感覚は海外に出たことで得た大きな宝だ。

どこまで生活の幅を広げられるか知れたこと

もう一つ、25年間生きてきて良かったと思っているのは、自分の生活レベルの多様性を垣間見れたことだ。

日本生まれ・日本育ちというバックグラウンドを離れた時の、異文化受け入れの尺度を手に入れられたこと。

これは東ティモールやドイツで過ごした年月が大きな影響を与えている。

例えば東ティモールでは、

•雨水を貯めただけのシャワー(雨の降らない猛暑日には赤ミミズが沸く)

• 何匹ものハエがたかったご飯

• 大自然の中でする開放的なトイレ(音姫ならぬ鳥のさえずりつき)

• 大自然の中で浴びる開放的な川シャワー(シャンプー石鹸なし、老若男女共用)

• ゴキブリ、ネズミ、ヤモリとの共同生活

• 包丁入れた瞬間に断面から蟻が湧き出てくるパイナップル

こんなことが日常茶飯時だった。

日本で同じことが起こったら発狂ものだ。それでも東ティモールにいれば3日で適応することができた。

自分の許容範囲外と確信していても、その状況を回避する余地がないほど追い込まれれば、人は案外簡単に慣れてしまうのかもしれない。

私、ここで、生きられる!そういうスイッチの入る感覚も、最近やっと自覚することができた。

衛生面以外にもう一つ乗り越えた壁は言語だ。

ドイツではボンという、かつての西ドイツの首都に滞在していた。しかし当時のドイツ語知識は皆無。グーテンターク。以上。

ドイツに足を踏み入れる者にはある程度のドイツ語力を求めていることの現れなのか、駅構内も街中もアナウンスも、全てドイツ語に統一されていた。英語の情報は見聞きする機会がない。 日本語と英語しか話せない私は、完全に取り残された。

ドイツ到着早々、市民登録をするために向かった市民局では、入口(Eingang)と出口(Ausgang)がわからず列を乱したり、「立ち入り禁止」と明記された扉を平然とすり抜けて、巨大な警備員にホイッスルを吹かれて事務所まで連行されたりもした。

ドイツ語が分からなかったという事情で罰則は免除されたけれど、「君ね、もっとドイツ語を勉強しなさい」と渡航1日目にして知らないおっさんに説教を食らう羽目になった。

迷惑かけておいてなんだけれど、今となればこういった経験も、自分自身の自信に繋がっていることに間違いない。「運動部現役の時にあれだけ走れたんだから今度のマラソンも大丈夫」といった感覚と似ているかもしれない。過去に成し遂げたものが、自分の土台となっている実感。

仮に今、現地語を全く知らない国への派遣命令が出されたとしても、なんの困惑なしに飛び立つだろう。きっと新しい土地でも人生を切り開くことができる自信があるから。

25年間生きてきて本当に良かったと思っていることは、今から更に25年後、50歳の私から見たら、幼稚園児の思いつきみたいに浅はかなものかもしれない。

でも、なんとかやっていけたし。

気の合う友達だって、たくさんできたし。

いつでもどこでも大切なのは、心が死なないこと。それだけだ。

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本日も最後まで読んでくださってありがとうございました!