「妻」という役割、「母親」という生き物

うちには「母親」が2人いる。

私の母と、母の母。私のおばあちゃんだ。

先週5月13日は母の日だった。

今年も母とおばあちゃんに顔を見せることができた。

私の小さい頃から一緒に住んでいる祖父母は、幼かった頃の母の性格を「自由奔放」「泣き虫」「わがまま」と言って笑う。

3人兄妹の末娘で親戚も多かったから、さぞ愛されていたことだろう。

根っから妹キャラの母は、自分でも「親戚中で一番可愛がってもらってた」とよく当時を振り帰る。姉キャラ傾向の強い私が理解に苦しむ言動も多い。

さて、なぜ急に母親のことを書き出したのかというと、つい先日の出来事を書き留めておくためだ。

身内の事情を綴るのも頭がどうかしているかもしれないけれど、かと言って赤裸々に相談できる親戚友人はいないから、ここに書く。

母が初めて、私の前で弱音を吐いて泣き崩れた。

母にとっての「生き甲斐」

うちの家族構成は父母、就職活動真っ最中の弟、母方の祖父母、そして私の6人だ。

数日前の深夜12時半頃、すでに就寝したと思っていた母が突然私のところへやってきた。

「今までおじいちゃんおばあちゃんが喜ぶように生きてきて…」口を開いた母の話は、想像よりも深刻だった。

話題は、祖父母の介護のこと。シンガポールにいる時もLINE通話で話し合っている内容だ。

祖父は認知症、祖母は脳梗塞。2人とも、いよいよ、という状態まできてしまった。

東京でB-29による空爆に合い激流の火炎の海を生き延びた祖父と、親を亡くし疎開先の新潟で苦労を強いられた祖母。

彼らは私が生まれてから今まで25年間ずっと同居してきた。幼稚園の送り迎えもよくしてくれた。祖父の漕ぐ自転車の後ろのカゴに乗っていた時、意図的に信号無視して私の反応を楽しみ、母にこっぴどく叱られていた祖父の顔も鮮明に覚えている。

そしてそんな2人から生まれた母は、常に「誰かのために何かをしてあげる」ことが生き甲斐だった。だから祖父母のために尽くすという行為こそ、精神的支柱の一つであったらしい。

ところが私はもう家を出ていて、弟も就職したら実家を離れるかもしれない。祖父母の容態は思わしくない。

だから、その「誰か」が周りにいなくなってしまうと思ったら、何のために生きれば良いのかわからなくなってしまった。

そう言って涙を流した。

不安を語る間も「お母さんなのにこんなこと言ってごめんね」と私への気遣いを止めなかった。25にもなって初めて、母がこんなにもか弱い人間だったのだと知った。

「妻」という役割「母親」という生き物

母は当時の結婚平均年齢より少し遅れて、5歳年上の父と結婚した。

どっちが先に告白したの?と聞くと両親とも「そんなの向こうに決まってんじゃん」と言う。まぁそんなのすぐわかるんだけどさ。

結婚するということは、相手の人生と自分の人生をシェアすること。今まで自分自身にかけられていた「100」の力は、相手と自分、50:50に分散される。

私の母の場合は、相手と自分は常に100:0の比率だった。

どんな時も、祖父母と、父と、私たち子どものことを考えていた。

3世代に渡る同居生活なので、それぞれが自分勝手するのは他のメンバーに迷惑がかかるから決して許されない。「古風な」という言葉に集約してしまうには抵抗があるけれど、祖父母の価値観による「ルール」がうちには今でも沢山存在している。

それに文句を言いつつも従っていた「妻」であり「母親」である彼女は、社会的常識やプレッシャーが作り上げた人格だったのだと改めて思った。

「妻」という役割をまっとうし、「母親」という生き物になっていたのだ。

少なくとも私の目の前で、彼女が「ひとりの女性」としての幸せを追求したことはなかった。

今までどんな葛藤や諦めがあったのだろう。いや、もはやそれらを葛藤や諦めとも思っていなかったかもしれない。

両親との生活に終わりが見え始め、子どもたちも自立していき、やっと自分の時間ができるという時に、彼女は生きる意味を見失いかけている。

25年前、何ヶ月も点滴注射を繰り返しやっとの思いで生まれた私を初めて腕に抱えた時、目の前の赤子のことではなく、自分の母親(私の祖母)のことを想って泣いたそうだ。「私を産んでくれてありがとう」と。

そんな他人思いな母はいつでも「人に親切にすること」「人に優しくすること」「人に与えること」に価値を見出しており、私にもそれらを美徳として教え込ませた。

それでも私は未だに「自分に親切にすること」「自分に優しくすること」「自分に与えること」しかできない未熟な人間だ。

何のために頑張れば良いのだろうという問いが母の口から漏れた時、一瞬だけれども、「お母さんはお母さんのために生きていいのに」という思いが過ぎってしまった。

だけど。

母を「お母さん」という生き物に縛り付けたのは紛れもなく自分だ。

命をかけて産んでくれて、教育も食べ物も全て与えてくれた人に、「お母さんはお母さんのために生きていいんだよ」なんて独善的で残酷な言葉をどうしてかけられようか。

私は申し訳なさと情けなさとがいっぱいいっぱいで、流れ出る涙さえ自己中な自我に染まったまま、ひたすら母の背中をさするしかなかった。

親孝行ってなんだろう

自分が親だったら、子どもには好きなように生きて欲しい。

そんなことを言う人もいるけれど、「では好きにしますね」と簡単に割り切れないほどの愛情を注いでくれたのが母だ。

じゃあ一体私に何をしてあげられるだろう。しかも海外在住の身で。

ずっと実家にいる私の友人は、自分の両親が老いているという感覚がないのか、「親孝行」「介護」という言葉に意外にも当事者意識を持っていなかったりする。

毎日顔を合わせていると、わからないものなのだろうか。

母の日や誕生日にだけ、ちょっと良いレストランで家族で食事を撮っている写真がSNSに投稿されていたりもする。だけどそれって親孝行って言えるのかな。

とりあえず今の私にできることは、なんでもない日常の中で最大限の時間を共有することだ。

今この記事を書いている時も、後ろには祖父母がいて、目の前には母がいて、ヘンリー王子の結婚式模様に見入っている。

結婚式の途中で「もう寝る」と言って寝室に向かう祖父には「おやすみ」と言って布団をかけてあげる。

そういうかけがえのない家族時間を一つ一つ大切にしたい。

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本日も最後まで読んでくださってありがとうございました!

コメント

  1. まるも より:

    まだ25歳なのにお母さまの事をちゃんと考えてあげられて素晴らしいと思います。
    私はたぶんお母さまと同じくらいの年齢で、同じくらいの子供がいます。私はお母さまの様に3世代の中で過ごしておらず、比べる事も出来ないくらいあまいっちょろい環境ですが、それでも子供たちが巣立ってしまい、「誰の為に頑張ればいいんだろう」と言うお気持ちは理解出来ます。
    25歳でしっかり「親孝行ってなんだろう?」と考える事が出来る事が、お母さまにとって最高の親孝行だと思います。

    • 琴音 より:

      まるもさん
      あたたかいコメントいただきまして、ありがとうございました。
      お子様がいらっしゃるのですね。
      「あまっちょろい」とおっしゃいますが、私にとっては誰かの親ということ自体が素晴らしく尊くて、今の自分には到底務まらないことだなぁと思います。

      母は「あなたの好きなように生きなさい」と言ってくれるのですが、やはり心配です。
      海外在住を言い訳にしないよう、頻繁に家に帰るなどして一緒にいる時を大切にしたいと思います。

      琴音