写真で見る世界の町 - Photo Walk -

年齢を重ねるごとに気の合う人の条件が変わってゆく

海外生活

「わかるよ」と私は言う。

だけど本当はわかってなどいない。

「いいね」と彼女が返す。

だけどそれは良いという意味ではない。手っ取り早く会話を終わらせたいだけ。

気の合わない人との会話は苦痛だ。

もっとも昔は、好相性の意味なんて大して気にした事はなかった。

「気が合う」は「同じものが好き」とほぼ同義だったからだ。

幼稚園児の頃のお気に入りはジャングルジムで、同じくジャングルジム好きのミホちゃんとミドリちゃんはいつも一緒の親友だった。

小学校の頃は、自分と同じく図書館に引きこもりがちで小説好きのアユミちゃんと仲が良かった。

中学校の頃の仲良しエミちゃんとは、授業中いかに細かな消しゴムはんこを作れるかに命をかけていた。

「同じものが好き」

「同じことをしている」

幼かった頃の私には、これが友情を維持するには十分な条件だった。

「同じ」の共有は重要か?

大学生、社会人と時が経つと、それは徐々に変化していった。

年齢を重ねるにつれて、みんなと「同じことをしている」こと、みんなと「同じものが好き」であることが困難になってきたからだ。

生まれた時は全員似たような見た目の赤子だったはずなのに、いつの間にかそれぞれの道を歩むようになる。

そうして他人とは違う目線を獲得すると、例え「同じものが好き」であっても、「同じこと」としていても、相手と馬が合うか否かは全く別問題になってしまうのだ。

「海外に住みたい」といったって、ニューヨーク駐在志望なのか、バンコク現地採用志望かでは、大きなギャップがある。

“家”ひとつとっても、フランス人がイメージする”une maison”、ドイツ人がイメージする”ein Haus”、東ティモール人がイメージする”uma”。すべて異なる。

世界には色々な人が独自の考えを持っていて、同じものが同じように見えていることの方が奇跡だ。

だから「同じものが好き」「同じことをしている」というのは大して重要なことではないのかもしれない。

違うものを同じ価値観で考えられること

同じものを見ても、同じように認識することがない。

であれば、誰しも同じものを同じように感じ取ることなんてできっこない。

だけど、違うものを見ていても希望を感じることはできる。

例えば、ロサンゼルス在住の人と江ノ島在住の人。

一見交わらせなさそうな人生だけれど、双方とも海辺の生活は譲れないという共通項があるかもしれない。

「なぜ」という部分で、同じ価値観を共有しているのだ。

違うものを見ていても、心の琴線に触れる本質的な部分の共鳴。

これが人生における”仲良し”を見つけるのに大切な事だと思う。

初めて出会う人でもビビッ!と何かが通じ合うものを感じることがあるのは、この共鳴のためかもしれない。

心を共鳴し合える人たちには、人生において巡り合う運命になっているのだ。

友だちを切り捨てる勇気と切り捨てられる勇気
「大学の頃はすごく仲の良かった友だちと、卒業以来全く連絡を取らなくなってしまった。」 「結婚し...

黙っていても共鳴できる人は見つからない

とはいえ気の合う人と巡り会うには、気の合わない人との距離を思い切って置く必要がある。

なぜなら時間は有限だから。

会う人全員に八方美人を貫いていると、いつまでたっても本当に必要な人に出会うことができないから。

気が合わないなら、わざわざ努力をして人脈を築く必要はない。

どうせ同じエネルギーを使うなら、波長の合う人たちとの交流を深めたほうが何十倍も有意義に違いない。

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本日も最後まで読んでくださってありがとうございました!