どうして一生懸命がかっこ悪いのか

現地コーディネーターとして米朝首脳会議に関わった4日間は特別だった。

歴史的瞬間に立ち会えたことも思い出深いが、何より自分が「シンガポールについて知っていた」ということと、その知識で相手の役立てたのが嬉しかった。

こういう絵が撮りたい。

こういう情報が知りたい。

度重なる要求に合わせて対応できたことが誇らしい。同時に、もっとシンガポールのことを知らなければ、とお尻に火がついた。

より面白いレポートをするために、イギリスのテレビ局も、韓国のテレビ局も、もちろん日本の報道陣も、それは熱心に働いていたから。私自身も全力で応えようと必死だった。

そう、みんな一生懸命なのだ。

一生懸命働いていること。

一生懸命勉強していること。

一生懸命乗り越えようとしていること。

「サボりたい」「働きたくない」という自称ゆるい生活スタイルが注目される今。

出勤退社の概念がないオフィスフリーの生活や、特定の組織に属さず自らのブランド一本でご飯を食べるYouTuberやブロガーのライフスタイルに尊敬や憧れの眼差しが集まっている。

そればかりか、汗水垂らして一生懸命働く人を負け犬と嘲笑する傾向さえ見られる。

果たして一生懸命でいることは本当に「ダサい」で、手を抜くことは「かっこいい」のか。

一生懸命がかっこ悪く見える時

一生懸命な人に出会った時、どんな感情を抱くだろうか。

一生懸命になっていることが、その人自身の情熱の矛先と一致してるなら、馬車馬のような働き詰めの生活姿だって輝いて見えるでしょう。

切磋琢磨している姿を「かっこ悪い」と否定してしまうなら、それは「憧れ」を通り越した「嫉妬」のなせる技に違いない。

しかし、どんなに一生懸命になっていても、一生懸命になる理由が本人の内なる欲求と一致しないのならば話は別だ。

嫌いだと文句垂れている会社に毎日出社しながら、転職はせず夢もない上司とか。

「今年の目標はうちの支店の売り上げをNo.1にすることです!」と会社の目標と個人の目標を混合してしまっている人とか。

一生懸命になる理由など感じていないくせに、目の前の課題をただただ成し遂げることで自分が成長したと思い込む。

その「嘘」こそが、かっこ悪いを作り出している根源だと思う。

正社員かフリーランスか。「かっこ悪い」の線引きはそうではない。

自分の心に正直に生きれば、自然と「かっこいい」はついてくると信じたい。

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本日も最後まで読んでくださってありがとうございました!