「国際協力をしたいから国連就職」は間違いかもと思った瞬間

タイの洞窟に閉じ込められていたサッカー少年たちの救出劇が映画化されるという報道に驚いている。インターナショナルNGOらは少年のうち3人が無国籍であったという事実から移民問題や難民問題に関連付けたレポートを発表したり、寄付金を募ったりしている。こういう時に国際機関は反応が素早いなぁと思う。

ちょうど数日前、大学時代の友人を介して、国連でのインターンに興味があるという大学生Mさんから連絡を貰った。都内大学の法学部在籍、英語はもちろん堪能で、フィリピンのNGOで教育事業のインターン経験を積み、開発学を極めるため大学院進学も見据えている優秀な女の子だった。

「将来は国際協力の分野で仕事がしたいんです」という文系学生あるあるの出だしから、「世界中の国連で働きたい」という進路に狭まり、最終的には事例を挙げつつ「国連本部で重要なポジションに就きたい」という具体案まで落とし込んで語ってくれた。なぜなら「社会に大きなインパクトを与えたい」からだという。

国連本部というとニューヨークで働きたいの?と尋ねると、それで間違いないらしい。

そこまで詳細な将来計画を立てられている秀才Mさんに、現在この分野から遠ざかっている私がどう役に立てるというのか…。大人気なく不安に駆られていたのだが、どうやら彼女も国連の立ち位置をよく掴めていない様子だった。

「国際協力」といっても、その中身は千差万別。

「国連で働きたい」という動機は、見方によっては「アジアの大学に行きたい」という主張と同じくらい曖昧なものかもしれない。

国連本部に入って具体的にどんなことをしたいのかとMさんに問うと、「子どもたちの教育支援を実行するためのコミュニティ支援やコーディネーションがしたい」という答えが返ってきた。

おぉ?

それなら国連ニューヨーク本部を志望する必要はないんじゃないか。

というのが率直な感想だった。

教育支援という分野はさておき、コミュニティ支援かぁ。果たして「国連本部で重要なポジションに就く」ことが彼女にとっての最良策になり得るのだろうか。

私は自分の記憶を遡ってドイツでの経験談(失敗談?)を話すことにした。

国連HQ勤務のジレンマ

Mさんが働きたいと名を挙げた国連はニューヨーク本部を始めとし、ジュネーブ、バンコクなどにも主要事務所が点在している。実はドイツのボンもその一つ。ライン川沿いの国連キャンパスに、国連ボランティア計画(UNV)の本部が入っている。

西ドイツの旧首都であったボンは、あのベートーヴェンの生まれ故郷としても知られている町だ。ベルリンから見ればド田舎かもしれないけれど、とにかくビールが安くて、自然と芸術に溢れている素敵な場所である。

ちょうど3年ほど前、私はボンにあるUNESCOの技術教育事業を支える専門機関のHQでインターンをしていた。主に技術教育政策のデータベースや出版物管理を担っている組織だ。2年に1度、世界100ヶ国以上から教育省職員や国連職員が集い、各国の教育政策の進捗や国際的課題について議論をする大規模なフォーラムを開いている。その主催運営が、インターン中の大きな仕事の一つだった。

4日間にも及ぶ国際フォーラムのために集まった参加者はなんと250名以上!会場も国連の敷地内で確保された。トップダウンの政策提言を行える国連はアウトプットのインパクトも予算規模も大きい。「社会に大きなインパクトを与える」というMさんの希望は、こういった点では満たされるかもしれない。

連日、各国代表たちによるスピーチやパネルディスカッションが続いた。

同じ教育というテーマでも、気候変動や人口ピラミッドなど課題は多岐に渡り議論内容は興味深いものだった。

だけど。

この場で話題に上がっている世界中の国。ナイジェリア、シエラレオネ、ボリビア、メキシコ…。しかし私自身はその数%すら訪れたことがないという事実。

次々と語られるストーリーや統計結果を「自分ゴト化」するのが難しい。

オフィスがドイツにある以上、インターンの業務内容は周辺政府への助成金使用報告書の作成や、ドイツ国民に対する啓蒙活動、その他組織内レポートに偏らざるを得ないのが現実だった。

中でも最後まで腑に落ちなかったのは、自分が一歩も踏み入れたことがない国に関しても、例えば「インドでは◯%の女の子が十分な初等教育を受けられていません」「これでは不平等だと思いませんか」だから「支援をお願いします」というスタンスを貫かなくてはならなかった点だ。誤解を恐れずに言えば、常に「お涙頂戴」的な広報に沿う必要があった。

これでは本来思い描いていた「現場に寄り添う国際協力」とは程遠い。ましてやMさんの言うような「子どもたちの教育支援を実行するためのコミュニティ支援やコーディネーション」にはかすりもしない。

国連本部や主要事務所にいれば、確かに最先端の情報に触れることはできる。予算運用の決定権もある。しかしそれとは引き換えに、現場からは遠ざかってしまうという盲点。

救いたい誰かは物理的に遠いところにいて、自分は冷房の効いた快適な部屋でパソコンに向かっている日々。国際フォーラムで使う資料を完璧に作成したところで、その行為は果たして資料で語られている貧困層の家族たちにどのような影響を与えることができるのだろう。

自分の貢献がもたらす最終結果を実感できないまま、国際フォーラムが最終日を迎える頃には、不完全燃焼にも似たわだかまりが沸々と湧き上がってしまった。

「国際協力」像が崩れ落ちた打ち上げパーティ

更なる衝撃は国際フォーラム後だった。

国際的な大規模イベントの後は大概これまた派手な打ち上げが催される。ライン川横に位置するボンでの打ち上げといえば、船上パーティ。一隻まるまる貸し切って、どんぶりこっこと夕暮れに堕ちていくライン川を遊覧するのがBonner(ボン市民が自分たちに用いる総称)の醍醐味だ。

フォーラム最終日が閉会の挨拶で締めくくられたのは、まだオレンジ色の夕日が差し掛かった午後4時頃。ネットワーキングやロビーイングもそこそこに、世界各国から集った参加者たちが列をなして打ち上げ会場まで移動を始める。ライン川沿いに位置しているフォーラム会場からは3分も歩けば船着場にたどり着いた。

目に飛び込んできたのは、川辺で優美な威厳を放っている真っ白いボディの豪華客船だった。3階部分が、白電球の散りばめられたお洒落なルーフトップバーになっている。データベース管理が本職であるはずのエジプト人マネージャーが国際フォーラムの1ヶ月も前からそそくさと準備を始めていたのはこれだったのか…!

同乗したライブミュージシャンたちが陽気なボサノヴァで船内を明るく染め上げる。さぁパーティの始まり始まり。つい数時間前まで貧困層の教育格差に関する提言を辛辣な面持ちで発表していた政府の大御所たちは、酒の入ったグラス片手に踊り狂い始めた。インド人男性ディレクターがナイジェリアの女性NPOリーダーの手を取り周囲から歓声が挙がる。フランス人とドイツ人が体を揺らせながらフランス語で談笑している。韓国教育省の役人さんは、ダンスフロアの端っこでケータイとにらめっこしていた。会場の熱気についていけないんだろう。その距離感にむしろ親近感を感じてしまった。

国際協力の舞台でのダンススキルは、日本のお酒付き合いにほぼ等しい。

次々とサーブされる、サーモンのなんたら風カルパッチョに、うんたらかんたらのフォアグラ乗せ、イチジクと5種類のチーズを和えたシェフのほにゃららサラダ。赤ワイン、白ワイン、ビールはもちろん飲み放題。とりあえず学生の身分であった自分がど肝を抜かされるくらいには豪勢だった。

普段各国で一心不乱に成果を上げている人々だから、一大イベントの成功を盛大にお祝いするのは良いことだ。だけど。

ふと東ティモールで隣の家に住んでいた難民家族が脳裏をかすめる。

この船上パーティにあてがわれた予算で一体彼らのような家族が何世帯救えるだろうか。

もう5年も前のこと。 ロヒンギャ難民の家族がお隣に越してきた。 都会の娯楽が存在しない東ティモールでは、休日...
5年前の東ティモール。ある日お隣の家に、ロヒンギャ難民の家族が越してきた。 28歳の旦那さんと、27歳の奥...

結局、自分はセーフィティーゾーンにいるんだ。

無力感なのか自責の念なのかよくわからない苦い煙が胸の内を埋め始めた。誰かのために生きることと、自分を守ること。この線引きは難しい。いや、線引きなど考える時点で間違っているのかも。未だに何が正しい答えなのかはわからぬままだ。

落としどころのないジレンマを感じて、なんとなくダンスフロアを後にした。

外はすっかり暗がりに包まれていて、ライン川と空の境がわからない。生暖かい風の吹き付けるデッキには、いつの間にか他のインターン仲間が集まっていた。私にとってお兄さん的存在であったオランダ人青年は、ダンスフロアの矛先に目を泳がせ、肩を竦めて力なく笑った。言葉は介さなかったけれど、お互いの言いたいことは通じた気がした。

しばらくの沈黙の後、ライン川目掛けた彼の口からぽろりと漏れ出た皮肉ジョークが今でも忘れられない。

「Well, we are on the same boat.」

そもそもドイツの国連キャンパスの立ち位置をしっかりと理解せずに飛んだ落ち度は確実に自分にあるし、国連本部の業務内容を否定するつもりは全くない。

ただし「国際協力をしたいから国連就職」、この考えには待った!と言いたい。

世界各国にオフィスを構える国連のようなメガ組織内でのポジション探しは、もはや個人の好みの問題だ。

良い悪いではなく、好きか嫌いか。自分に合ってるか合ってないか。

たまたま私がドイツで感じてしまったジレンマや距離感を気にすることなく、むしろ使命として全うできる人もいるだろう。逆に東ティモールのような環境で働くなら国連は無理ですという人もいるかもしれない。「国際協力をしたいから国連就職」という前に、「自分にとっての国際協力とは何か」「どのような関わり方をしたいのか」を明確にするのは大切だと思った。

最終的に私たちの会話は、NGOや開発コンサルタント業務も検討してみます!という結論に落ち着いた。バイタリティ溢れる彼女の未来から目が離せない。

国際協力分野に足を踏み入れる人ならば、誰しも救いたい世界があるのだと思う。国連というとめちゃくちゃ頭のキレる職員たちが世...

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本日も最後まで読んでくださってありがとうございました!