写真で見る世界の町 - Photo Walk -

時間の流れが人生の「区切り」を促しやすい日本

日本での生活

日本に帰国してからというもの、色々なオドロキを隠せない。

美味しい料理が安い。お酒も安い。

音楽・演劇・映画などの文化が豊か。文化行事を宣伝する広告のバラエティも豊か。

外国人と外国語が多い。ご老人も多い。女学生と若い女性が無防備。おじさんたちは多趣味。

コンビニは文字通り「便利」すぎる神店舗。なんでもある。なんでもできる。しかも電車のホームにまで自動販売機やコンビニがあって、飲食可能など!シンガポールでやろうものなら即罰金なのに。過ぎ行く電車を横目にお蕎麦やカレーまで食べられるなんて。食の充実性と寛容さが半端ない。

それから、電車のホームの電光掲示板。「in 5 minutes(あと5分後)」と、今現在を起点に次発までの待機時間を表すのではなくて、「10:38 各駅」と未来の発車時刻を明確に示す。これも、帰国してから感じだオドロキの一つ。一寸の狂いも許されない発着ダイヤの緊張感を、その表記から感じてしまう。

やっぱり日本は「時間の流れ」というものを意識する民族の集まりなのかもしれない。

一人一人の時間の「区切り」

日本ならではの「時間の流れ」の大切さは、町歩きをしていると頻繁に実感する。

この間、雑貨屋さんを巡っていたら偶然にもたどり着いてしまったコーナーがある。

こちら。

フロア一面に敷き詰められた、手帳、手帳、手帳!

そう、新年度のための手帳コーナーである。

少なくともシンガポールでは見慣れない特設スペース。

大学卒業後、手帳を使うという習慣が全くなくなってしまったので、この大量生産された商品たちを前に一瞬頭が混乱してしまった。

何より驚いたのは、その種類の多さだ。一体、何パターンあるんだろう。「キャラクター」というカテゴリーだけでも、平積みにされた棚を5つも占領している。私が手帳を使っていた中高生の頃もこうした売り場はあったけれど、当時はオドロキを感じたりすることはなかった。改めて見ると、すごい現象だ。

「10月始まり」「1月始まり」「4月始まり」と一年の区切りも違う。自分のライフスタイルに合った一年間の始まり選べるようになっている。

加えて「1週間見開き」「ダイアリー欄あり」「家計簿付き」などの付加価値。もはや「手帳」としての機能を遥かに超えて、「自分だけの一冊」が叶うバリエーションの数々。なんてバラエティ豊かなライフスタイルなんだ!

記録のためであったり、スケジュール管理のためであったり、手帳を使う目的は三者三様に違いないけれど、いずれにせよ一年間の予定を可視化しているのだ。

ここでも、日本は一人一人が「時間の流れ」を人生の「区切り」として強く意識する国なのかもしれないと思った。

少し余談になるけれど、2週間半ほど前に、シンガポールを離れて日本に完全帰国した。親しい友人たちとは断腸の思いでお別れするしかなかった。Sam Smith の”Too Good At Goodbyes“みたいに「さよなら」に慣れることなんて一生ないと思う。

だけど、別れの寂しさと同時に、根拠なき安心感も感じていたりする。年中いつ帰ってきても、チャイナタウンも、リトルインディアも、いつもの調子でそこに存在してるんだろうな。そんな「変わらないもの」への安堵感。明確な「春夏秋冬」のないシンガポールでは、特定の時期限定の自然現象はあまりなかったように思う。だから「あれを見逃してしまった」「またあの時期に住んでみたかった」という後悔が全くないのかもしれない。いつ訪れても、同じ光景。

その点、日本はとても特有だ。

時間の流れを、毛穴全体が感知する。

夏が終わるということは、肌を撫でる風に優しさを感じるようになること。

スーパーに秋刀魚が並び始めるということ。

ひまわり畑が、コスモス畑に一転するということ。

日没後の公園に鳴り響く虫の音の主が、セミではなく鈴虫に変わるということ。

1日1日、時間の流れの足音を感じる。

年中気候が安定していて、自発的にライフイベントを作り出さないと生活にメリハリをつけづらかったシンガポール 。打って変わって、移り変わる季節が容赦なく「区切り」を促す日本。どちらも良いし、どちらも面白い。しばらくは、久しぶりに味わう時流の感覚に身を任せていようと思う。

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本日も最後まで読んでくださってありがとうございました!